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余土地区の紹介

余土地区の概要

 余土地区は、松山市の南西部に位置し、1889年(明治22年)12月15日に町村制施行により、それまでの伊予郡市坪村、保免村、余戸村が合併し、伊予郡余土村として発足、これにより初めて「余土」の名称が生まれました。その後1897年(明治30年)4月1日、温泉郡余土村に変更となり、1954年(昭和29年)10月1日に松山市に編入されました。古くは律令時代まで遡ることのできる歴史ある地区です。
昔は、民家が少なく、田畑が広がる純農村地帯でした。平成24年1月現在の人口は、23,784人、世帯数は、9,834世帯となっており、そのうち、65歳以上の人口が約19%で、高齢者の比率が高くなっています。市中心部から5㎞に位置し、市内への通勤、通学に便利なことから年々人口が増加するとともに、急速に宅地化が進み、田園都市へと移り変わってきましたが、近年では、そののどかな田園風景も少なくなりました。
 地区には、石手川や重信川といった河川があり、土手には四季折々の花が咲き、松山中央公園や石手川緑地が整備され、地区住民に憩と安らぎを与え、健康づくりの場として親しまれています。また、三島神社やお豊石といった歴史的財産、日招太鼓や獅子舞などの伝統文化も多くあります。
正岡子規も幼い頃、伯父佐伯政房を度々訪れ、大人になってからも愚陀仏庵から今出へ出かける途中で「鳩麦や昔通ひし伯父が家」と詠みました。
余土には正岡子規の三つの句碑、その他にも、五つの句碑があり、村上壷天子や、五十崎古郷等を輩出するなど俳句のさかんな地区でもあります。

余土地区マップ

 

 

⇒ 余土地区の史跡・文化財を巡る”新ふるさとマップ”はこちら

 

⇒ ”旧ふるさとマップ”はこちら

 

 

余土村歌

1.拓川清く 流るる地
余戸保免に 市の坪
3000人の 村人が
心の緒琴 むつみあう
至誠は雲の 上までも
聞こえあげたる 余土の村
      
2.都の風に あこがれて
荒(すさ)める人の 多き世に
共同一致 つつましく
倦(う)まずたゆまず 献身の
努力は今や 現れて
その名も高き 模範村
     
3.此の栄光に 恵まるる
務めのいよよ 重ければ
勤倹産を 治めつつ
浮華をいましめ 質実に
自尊の旗を なびかせて
励め村人 時の間も
      
4.余土一村の 為ならず
我が日の本の 農村に
苦しき悩む 溢る時
我が村人の 営める
事業の 成果範となる
高き使命の 尊さよ
      
5.幸ある村を 思う時
悩める国を 思うとき
共同自治の 村人に
久遠の幸ぞ 恵まるる
正義にもゆる 人の手に
理想の国ぞ 開かるる


過去の活動

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