余土の歴史
余土地区年表
元和 | 6年 | 大洪水のため市坪の安長九郎左衛門が私財を投げ出し堤を築く。 |
元文 | 2年 | 余戸の郷は市坪村、保免村、東余戸村、西余戸村、垣生村の5か村となる。 |
明治 | 7年 | 東余戸村と西余戸村を合併して余戸村となる。 |
11年 | 大小区廃止となり伊予郡に属す。 | |
18年 | 二神精一氏、5か村連合の戸長となる。 | |
20年 | 余戸尋常小学校ができる。 | |
22年 | 市制町村制が施行されて余土村制をしく。この時垣生村が分離。 | |
23年 | 余土村が誕生し払川に役場を置く。 | |
29年 | 余戸尋常小学校が余土尋常小学校と改称される。 | |
南予鉄道郡中線が開通し、余戸駅が設置される。 | ||
30年 | 温泉郡余土村となる。 | |
31年 | 森恒太郎が村長となり、村是調査を始める。 | |
36年 | 「余土村是」が第5回内国勧業博覧会で1等賞となり、全国にその名を知られる。 | |
大正 | 11年 | 裕仁親王(後の昭和天皇)が松山に来られ、森恒太郎氏・鶴本房五郎氏にお会いになられる。 |
昭和 | 15年 | 余土村が農業報国連盟より表彰される。 |
余土村青年団が大日本青年団長より表彰される。 | ||
17年 | 現在の余土小学校体育館のあるところに余土村郷土館を建てる。 | |
22年 | 余土村郷土館を改称し余土公民館として発足する。 | |
余土公民館が全国優良公民館となり文部大臣表彰を受ける。 | ||
6・3制がしかれ余土中学校ができる。 | ||
29年 | 余土村が松山市に合併する。 | |
39年 | JR予讃線市坪駅ができる。 | |
42年 | 伊予鉄道郡中線鎌田駅が設置される。 | |
48年 | 現在地に余土公民館が移転する。 | |
51年 | 市坪地区椿小学校へ分離。 | |
平成 | 元年 | 余戸中・西地区さくら小学校へ分離。 |
10年 | 余土音頭発表会が行われる。 | |
12年 | 松山中央公園内に坊ちゃんスタジアムが完成する。 | |
21年 | 余土地区まちづくり協議会設立 | |
26年 | 余土地区まちづくり協議会にて「余土ふるさとマップ」完成。 | |
31年 | ||
令和 | 元年 |
「新・余土地区ふるさとマップ」 |